公共の場で子どもに注意する時に心得ておきたいこと
子どもとお出かけをしたとき、周りの目がある手前、
イライラしたり、注意しないと!と思ったり、
恥ずかしいと感じたり、もう出かけたくない!
という感情を感じたことありませんか?
・どこまで注意してどこまで見守ればいいの?
・今できないとこのまま先もできない。
だから今伝えてできるようにしないと!
・こんなこと当たり前。普通にこうしてよ!
・しっかり今のうちからしつけておかないと…
だったり…。色んな感情があると思います。
そして初めにお伝えすることは
どれも正解はないということです。
自分が今正しいと思っていることは、
自分の経験と知識、小さい頃聞き続けた結果深く考える前に
そのフレーズだけが残っていることなどから構成されています。
だから他人と違って当たり前です。
公共の場は色んな常識の違う人たちの集まりですね。
だから、もし今のあなたが
“誰かにどう思われるか”という他人の尺度で行動しているとしたら
それは一切排除したいのです。
そして改めて自分はどう捉えているかを考えるのです。
例えば
・貸し借りをスムーズにできなければいけないのでしょうか?
「貸して?いいよ」だけがコミュニケーションのパターンではありません。
例えば貸したくないという自分の感情に気がつくというプロセスによって、
後々他人にも同じように感情があると知ることになるでしょう。
貸したくないのにいいよ、と言わせることは
本当にその子のためになるでしょうか?
・公共の場で花や草を摘むことはいけないでしょうか?
花や草がかわいそうだから、
死んじゃうから摘んだらダメ、
なのでしょうか?
私は小さい頃押し花にしたり、
花から色水を作り色んな色に仕上げることが
とても楽しみで大好きでした。
たくさん触れたからこそ今花や草を大切に想います。
何も触れずにその物体が何なのか理解できると思いますか?
・騒いでいる子どもが本当にいけないでしょうか?
子どもからのサインはなんでしょうか?
本当は子どもがどうしたいのか分かっているのに
それをシャットダウンしていませんか?
例えばスーパー。
お母さんの買いたいものよりも自分のための時間をつかいたい。
目についたアレを見に行きたい、
自分の力試し!カートを押してみたい、
などそれを阻止されると暴れたくなる。
それは自分がお母さんとは違う意見があるということで、
自然な流れではないでしょうか?
自己表現がまだまだ不器用な時期や
実際に手に触れて自分の心で学ぶ時期があります。
とりあえず見守ってみる。
そして何か起こったら精一杯、
保護者として謝ったりそれ相応の対応をする、
ということも時にあっていいのだと思います。
この子が大きくなったら困るから、
今しっかりしつけをしておかないと。
ということで規制していることがあるとしたら、
逆に困らせてみる、というのも一つです。
自分がやったことで
自分が困ったり恥ずかしかったりした時
本当の意味で腹落ちして改善していくのではないでしょうか?
自分だけでなんとかしようとせず、
今周りにいる人や未来に関わるであろう色んな価値観の中で
子どもを育てる感覚というのも大切な視点だと思います。
もっと肩の力抜いて。
自分ひとりでなんとかしようとしないで。
大丈夫。
子どもに失敗も恥も色んなこと経験させてみることは
本人のためになりますよ。
その時、全力で味方になりサポートしてあげたらいいのではないでしょうか?
アドラー流コーチング メンタルコーチ
水上満乃理(みずかみ みのり)
某大手コンサル企業にて5年間勤務後、結婚と共に退社。 以前から興味のあったアドラー流コーチングを学び、コーチとして個人事業を設立。 現在、2016年5月に生まれた息子(第一子)と2019年7月に生まれた息子(第二子)の子育て真っ只中。
アドラー流コーチングとは、「褒めない・叱らない育て方」「勇気づけ」「目的論」などを提唱する心理学者アドラーの思想を基にしたコーチング。アドラー流コーチングとモンテッソーリ教育の考え方をもとに、初めての育児に試行錯誤しながら毎日を楽しく過ごしている。
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