“体罰”は絶対にダメ?
体罰が大きな社会問題になっています。
そして体罰は一様に悪いこととして非難されています。
しかし、私はこうした体罰反対の風潮に危惧を覚えています。
もちろん度のすぎた体罰は許されませんが
どんな体罰もだめと言われると、
それでいいの?と逆に聞きたくなります。
幼稚園で体罰が必要になることはありませんが
小学校から高校まで体罰を完全になくしてしまうと
先生は大変だろうと思います。
口で言っておとなしく従ってくれる生徒ばかりではないことは
皆さんもご承知の通りです。
そしてクラスにひとり騒ぐ生徒がいれば、
ほかの子まで影響を受け騒ぎ出します。
考えてみると、体罰の問題は、あまり外国では耳にしません。
たとえばアメリカで、
小学校に入った子どもたちが授業中に座っていられない、
教師の話を聞かないといった「小1プロブレム」が問題にならないのは
そういう子がいないからではなく
まわりに迷惑をかける生徒を排除できる仕組みがあるからです。
しかし日本はそうなっていません。
もしも学校で排除の論理が常識になったら
一番困るのは家庭で問題児を抱え込まなければならなくなる親の側でしょう。
一方で、排除されるのが“騒ぎを起こす生徒”ではなく
“体罰”になるのなら、学校は無法地帯になってしまいます。
問題のある生徒も必ずいっしょに学ばせないといけない
騒いだときも体罰は絶対に許さないというなら
先生はいったいどうやってクラスをコントロールしていけばよいのでしょう。
先生とはいえ、人の子です。
もちろん、子どもたちにとってのモデルであることが求められるのは当然ですが
先ずは子ども自身が円滑に生活できる基本的な態度を身につけていることが前提です。
テレビで体罰反対を声高に叫ぶ知識人の方々の
世論受けをねらった主張は、なんの解決にもつながらないと思います。
何度も悲劇的な事件が繰り返されていることが
その証拠なのではないでしょうか。
実は、体罰が良いとか悪いとかという議論は
社会という大きな枠のなかですべきことではないように私は考えています。
むしろ、子どもたちに社会体験の機会を制度として確立し、
関係性のなかでの振る舞いや礼儀、
言葉の使い方を身につけていく場を増やしていくべきなのではないかと思います。
ヨーロッパ、といっても国によって多少の違いはあるかもしれませんが
たとえばオーストラリアでは18歳になると
赤十字などの団体で一年間、軍事施設で半年間の社会体験学習が義務付けられているそうです。
子どもへの体罰をどう考えるか。
これはそれぞれの家庭で考えるべきことです。
私は、基本的に自分の力だけで子ども達を育てられるとは考えていません。
地域の皆さんにもずいぶんお世話になったと感謝しています。
だからこそ、子どもが迷惑かける行為をしたなら
頬を叩いてでも関係性のなかで生きていくことを
教えてもらいたいと思っています。
山村 達夫
宇都宮市在住。
まこと幼稚園理事長・園長
社会福祉法人藹藹会理事長
福島学院大学福祉心理学部非常勤講師。
教育と福祉を基盤に、実践に裏付けされた臨床的教育研究を行っている。また、障がい者施設・保育園の運営に携わっている。主な著書に、絵本「フィリーがドキドキした夜のこと」(随想舎)、「0歳からのことば育てと子どもの自立」(共著:合同出版)など。近年はFM栃木“RADIOBERRY”「まことーく!」「今日も“わきあいあい”」、CRT栃木放送「HAPPYLOOPはここから」にも出演。多岐にわたり活躍中。
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