子どもは「枠」に入れるのが大事??

 

家にあがるときは靴をそろえなさいとよく言います。

幼稚園でもしつこく言うのですが、これは本当に家でしつけておくべきことだと思います。
履きやすいように、ちょっと離して置くのが思いやり
礼儀だという考え方もあるので
かかとをそろえるまでは要求しませんが
やはり靴をそろえることは大事です。

積み木をそろえるのもいっしょです。
積木が乱れていたらきれいに積めません。
工場などで整理整頓をやかましくいうのも、同じ理由です。
道具がいつでも取り出せて、
すぐ作業にかかれるので効率がよく、作業の安全にもつながるからです。

物事の枠組みや、整った美しさを教えることは意味があることです。
靴がちらばっていれば、それは乱れているということです。
乱れているからきれいにしようという気持ちが生まれます。
秩序あることを気持ち良いと感じられるように
ふだんの生活のなかでしつけてほしいと思います。

いまは畳が洋間になって教える機会は減っていますが
畳のへりを踏まないという作法もありました。
家紋の入った畳のヘリを踏むことは
ご先祖や親の顔を踏むのと同じこととされ
へりを踏まないことが武家のたしなみ、商家の心得だったそうです。
紋のほかにも動植物など、へりには生き物をテーマとした柄も多く
生き物や草花を踏みつけることはできるだけ避けよう
という意味でも「心やさしく静かに歩きなさい」としつけたのですね。
へりを踏まないことは、「相手の心を思いやる」という礼儀の表れでした。

枠にはめる、というと窮屈な感じをもつ人もいるかもしれません。

しかし「時を守り、場を清め、礼を正す」
そうしたことを、小さいときから言われ続けてきた人は
社会人になってからもきっちり仕事をこなします。

私は、職業柄多くの社会人と接しますが、
この人は家庭でどんなふうにしつけられてきたのだろうか
と良い意味でも悪い意味でも感じる場面に出会います。

しっかり仕事をこなす人に共通するのは、
小さいころから言い続けられた言葉を
大切にしている事なのです。

たとえば・・

「いま、このときを楽しく、大切に」
「己の欲せざる所は人に施すことなかれ」
「一隅を照らす」

これらは自分の行動を律する言葉であるところに共有の特徴があります。
つまり自分自身が守るべき信条をもっていることが
窮屈に感じさせない生き方につながっているのではないかと思います。
むしろ自分のなかに親から教えられた枠をもつからこそ
人は自由になれるのかもしれません。

yamamurasensei山村 達夫

宇都宮市在住。
まこと幼稚園理事長・園長
社会福祉法人藹藹会理事長
福島学院大学福祉心理学部非常勤講師。

教育と福祉を基盤に、実践に裏付けされた臨床的教育研究を行っている。また、障がい者施設・保育園の運営に携わっている。主な著書に、絵本「フィリーがドキドキした夜のこと」(随想舎)、「0歳からのことば育てと子どもの自立」(共著:合同出版)など。近年はFM栃木“RADIOBERRY”「まことーく!」「今日も“わきあいあい”」、CRT栃木放送「HAPPYLOOPはここから」にも出演。多岐にわたり活躍中。