”見る”ことで育む想像力

 

私は大学で講義をすることがあります。
学生は、私の講義を聞くというよりも
パワーポイントで映し出した講義内容を
ノートに写すことのほうに熱心なようです。
最近はどうも視覚型の人間が
増えているように感じます。

テレビやテレビゲームの影響もあるのかもしれません。
視覚型人間は、見るとぱっとわかった気になれるのですが
それを言葉で説明するのが苦手。
つまり視覚に論理性がついていかないようなところがあります。

実は生まれたばかりの赤ちゃんは
早くから見る能力はもっていると言われています。
たいだい30センチくらいの範囲は見えているそうです。

だからおっぱいを飲んでいるときに
赤ちゃんはお母さんの顔が見えています。

そういう意味で
人間は生まれたときから視覚型人間です。

やがてハイハイをするようになると
見える世界が変わってきて
1歳前後になり立ち上がった時には
はるかに広い視野をもつことができるようになります。

だから赤ちゃんから幼児、
小学校の低学年くらいまでは
「見る」という機会をたくさん与えて
脳にいろんな刺激を貯めこんでいくことが大切です。

ただし、見ていることを論理的に理解するためには
また別な訓練が必要になってきます。

この訓練不足が
まるで赤ちゃんのような大学生を生んでいるのかもしれません。
たとえば顕微鏡で葉っぱを見せると
子どもは「ああ、きれい!」と言うだけで
どんなふうに見えているとか
そういうところまで言葉にはできません。

言葉、論理性が発達していないこの時期は
見る力を育てるチャンスですが
いつまでもそのままでは困ります。

見る力に加え、感じる力や
それを言語化できる力
聞く力など育んでいく必要があります。

 

そして、それらを合わせたトータルな力が
想像力なのだと思います。

テレビやテレビゲームは
想像力を必要としないメディアです。
同じ「見る」でも
それらばかりを見ていては
脳に刺激を貯めることはできません。
文字どおり「見ている」だけなのです。

ところが同じ「見る」でも
自然界は心が揺さぶられます。
『センス・オブ・ワンダー』を書いた
レイチェル・カーソンは、
子どもといっしょに自然を見ることが
とても大事だと言っています。
なにかを教えるとかじゃなくていい、
とにかく見ること。
見て、いっしょに驚くこと。
そうすることで、センス・オブ・ワンダー
すなわち「神秘さや不思議さに目を見はる感性」
が育まれるのだと。

ひたすらノートに書き写す大学生を見ながら
幼児期の過ごし方を考えてしまうのは
果たして私が園長だからなのでしょうか?

 

yamamurasensei山村 達夫

宇都宮市在住。
まこと幼稚園理事長・園長
社会福祉法人藹藹会理事長
福島学院大学福祉心理学部非常勤講師。

教育と福祉を基盤に、実践に裏付けされた臨床的教育研究を行っている。また、障がい者施設・保育園の運営に携わっている。主な著書に、絵本「フィリーがドキドキした夜のこと」(随想舎)、「0歳からのことば育てと子どもの自立」(共著:合同出版)など。近年はFM栃木“RADIOBERRY”「まことーく!」「今日も“わきあいあい”」、CRT栃木放送「HAPPYLOOPはここから」にも出演。多岐にわたり活躍中。